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【訃報】川上哲治 巨人V9時代の歴史を振り返る [スポーツ]

巨人軍をV9させた、川上哲治氏が
老衰により28日逝去していたことが30日、明らかになる。93歳だった。

故人の遺志により、すでに近親者のみで密葬を行っている。

巨人永久欠番「16」の
川上氏の歴史を簡単に振り返り、ご供養になればと思っています。



家族によると、春先に自宅での転倒により肋骨(ろっこつ)を骨折し
持病の心臓病が悪化する。

リハビリをするところまで回復したが、その後は全身の免疫状態が低下し
老衰の症状が急速に進んだという。


川上哲治氏と言えば

現役時代は「打撃の神様」と言われ
監督時代は 「プロ野球界の生き神様」とまで呼ばれ
巨人軍をプロ野球史上唯一のV9を達成させた人物である。


選手時代からの背番号16は巨人の永久欠番。


注目を集めたのは、夏の全国中等学校野球選手権大会(現在の夏の甲子園)で
熊本工業の投手として、二度の準優勝を果たした所がスタート。

今の甲子園での光景を思い出してほしい。
試合終了後に負けたチームは、思い出や記念のために土を持ち帰り球場を後にする。
その土を持ち帰るのを初めて行ったのが、川上氏との説もある。


そして1938年に東京巨人軍に投手として入団するが、球威がなく
一塁手に変わってしまうが、打撃は3割を超え活躍していった。

戦争を挟んで1946年に巨人に復帰し、ほぼ毎年打率3割以上を続け
プロ野球史上初2000本安打を記録する。1956年の事である。
そして1958年現役引退。


ルーキーの長嶋茂雄に4番打者の座を奪われた後の事だった。


現役引退後は1961年から巨人の監督に就任。就任初年度から優勝に導くと
1965年から1973年まで巨人の黄金期「V9」を達成させる。


この頃の流行語が「大鵬・巨人・卵焼き」である。


そして1974年、V10を逃したのをきっかけに勇退し
その後、巨人の監督になったのが同年引退した長嶋茂雄氏になる。

監督退任後は、NHKの解説者としてメディアに出ていた。



選手時代と監督時代の引退の区切りには、いつも長嶋茂雄がいたのだ。
長嶋氏のコメントが発表されている。


私にとって川上さんは、とてつもなく大きな存在でした。
巨人軍の4番打者として、監督としてバトンを受け
その偉大さを感じた毎日でした。
巨人軍、プロ野球のあるべき姿を教わるなど、私自身大きな影響を受けた
先輩の一人です。ご冥福をお祈りいたします。(一部省略)


これからプロ野球関係者のコメントが沢山寄せられるだろう。


大きな人を失ったが、さらなるプロ野球の発展を祈りたい。

特に、川上氏の事をテレビで応援していたご高齢の方には
川上氏の現役時代やV9時代を思い出し、若い世代に伝えながら
供養していただきたい。


ご冥福をお祈りいたします。



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